「精神世界の鉄人」 エッセイ集

タイトル 発行月日
バシャール 11 お金 6/26/2001

「MIB」との遭遇後、私は「UFO」関係の行動を、一切やめました。やはり、時期が早いと思いました。

しかしそのあと、会社などでは、とてもつらい現実が待っていました。

まず、「平凡な日常」というものが、皆くだらなく見えてきたのです。「仕事」、「会社」、「出世」、「給料」、「パチンコ」、「競馬」、「プロ野球」、「恋愛」、「結婚」、「マイホーム」、「新車」、などなど、会社の仲間が、これらの話をしていても、一緒に溶け込んでいけないのです。なんとか努力して、話を合わせようとしたのですが、ダメでした。「皆、なんてくだらないものに夢中になっているんだろう。」いつもそう思っていました。

今なら、それらの物事も「神の表現」だと分かっているので、素晴らしいものだと思いますし、また結構、関心もあります。ただ、あの当時はダメでした。たぶん、まだ若かったのでしょう。(今でも若いけど…)

「役職」や「出世」の話を、酒の席などで聞いていても、「人間は、皆全て一体なのに、どうしてそのような序列や肩書きにこだわるのだろう?」と思ったし、また「恋愛」や「結婚」の話を、友人達が楽しそうに喋っていても、「どうして、全てがつながっているのに、そうやって一人の人にこだわるのだろう?」そう思っていました。

こういう私は、やはり会社の中では、完全にういてしまい、「リストラ」にあって、とうとう会社を辞めることになってしまいました。なんとか「せっかく入った会社だから、がまんして続けよう。」と思ったのですが、ダメでした。

ただ、逆にいえば、もしこれらの物事からの「執着」から、完全に逃れたいと思っている人がいれば、「精神世界」を追求することは、とても有効な手段になると思います。

会社を辞めるとき、クレジットカードによる借金もあり、貯金もなく、なんのあてもなかったのですが、「バシャール」の主張する、「ワクワクすることをしていれば、必ず現実は、うまくいく」ということを思い出し、実行することにしました。

周りからは、さんざん馬鹿にさえれ、クレジット会社から、「今すぐ、金を返せ! 返さないと、親の家まで取り立てに行くぞ!」などと文句も言われ、さんざんでした。しかし、自分の魂にうそはつけないので、きっぱり辞めました。

「送別会」のあと、タクシーで川崎の社宅まで帰ったのですが、その車内で、急に泣きたくなり、

「運転手さん、すみません、泣きたいので、泣かしてもらいます!」

と一言ことわって、ワンワン泣いてしまいました。自分がこんなに「泣き虫」だったことに、その時、初めて気が付きました。ネクタイとシャツがグッショリになるぐらい、涙を流しました。最初、仕事がうまくいかなかったことに対する、「悔し涙」かと思ったのですが、これは、魂が本当の自分に帰ったことに対する、「嬉し涙」だと気が付きました。

「お兄ちゃん、死ぬなよ。まだ人生長いんだからね。いつでもやり直せるから。」

とタクシーの運転手に慰められました。(笑)

1994年の夏の頃でした。今でも、その日のことはよく覚えています。(笑)

私達の、現在住んでいる社会は、さまざまな「しがらみ」があります。特に、「お金」などによる社会の管理は、そうとうなものがあると思います。

私の友人達にも、せっかく「バシャール」の本の「ワクワク人生哲学」に触れながら、「お金」の問題でつまづき、「ワクワク人生」をあきらめる人が、いままでにたくさんいました。

「全ての状況、物事は中立であり、それらに意味を与えるのは、私達である。」

という原則に立った場合、「お金」という物も、「中立」で、これに何も意味はないと思います。これに「ポジティブな意味」を与えると、「ポジティブな現実」が目の前に現れるのではないか? 私は、そう考えています。

「お金」は、あくまでも「道具」であり、「シンボル」だと考えています。つまり「お金」には、全く値打ちなどないというのが、私の金銭哲学です。「お金」に値打ちがあるのではなく、「お金」を介して生まれる、「人々の心のふれあい」、「社会に対する奉仕」、「世の中への貢献」などに。値打ちがあるのだと考えています。

つまり、「お金」は、あくまでも「手段」であり、それによる「愛の表現」が、「目的」だと思うのです。「手段」と「目的」を取り違えてはいけないと思います。

いくらたくさん「お金」があっても、その行為に「愛」がなければ、全く意味がないと思いますし、「お金」が少なくても、その行為に「愛」が含まれていれば、やはり、素晴らしい値打ちがあると、思っています。

私が、こういう話をすると、「きれいごとを言うな!」という友人たちが、たまにいましたが、私は、今でも自分のこの哲学は、正しいと思っています。

「お金」というものは、人間が使うものです。人間が「お金」に使われるようになっては、おしまいです。やはり、「お金」は、ただの「紙切れと金属」なのだと思っています。

「お金」が、一番大事だという考え方は、「お金」以上に値打ちのあるものを知らないという事実から、出てくるのだと考えています。

ただ、日常の中で、「会社の売上」などは、「自分達の活動が、どのくらい社会に受け入れられているか?」という「バロメーター」にもなります。もし「自分のやっている仕事は素晴らしいことなのだ。」という自信があれば、「売上」を伸ばす努力などもとても意味のある素晴らしいことだと思います。

ただ、それもあくまでも、「バロメーター」だと思います。少なくても、別にいいのではないでしょうか?(笑)

とにかく、この「現実社会」と「精神世界」のバランスをとりながら、生活していくのは、とても難しいことだと思います。そして、その中でも、最も象徴的な問題が、「お金」の問題だと、思っています。

「現実社会」と「精神世界」の「バランス」は、とても難しい問題だと思っています。私も今でも、苦手です。そして、「お金」の問題も、難しいです。

もしかしたら、「精神世界」にとって、一番の「敵」でもあり、「味方」でもあるのは、「お金」かもしれませんね。(笑)

 

 

 

 

 

 

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