「精神世界の鉄人」 エッセイ集

タイトル 発行月日
バシャール 12 仕事 6/29/2001

1994年の夏から、失業生活が始まりました。東京都の府中市でした。家賃3万円の風呂なし、共同トイレ、裸電球、6畳の部屋が、私の「城」でした。

その頃、すでに「パワーリフティング」という競技で、ある程度の実績をもっていた私は、この方面の仕事をしようと考えていました。

それで、東京都内のあるジムで、また体を鍛え直し、それから仕事を見つけようと思っていました。そして、毎日のように、「ハローワーク(職業安定所)」に通い、職探し、失業手当の手続きをやっていました。

そこで気が付いたのは、職を探しにきている人たちが、皆暗いことでした。私などは、「職がないことは、部下も同僚もいないけど、上司もいない。考えようによっては、世界で一番偉いステータスかもしれない。」ぐらいに考えていました。すると、本当に自分が偉くなったような気になって、堂々と町を歩いていました。(笑)

次の仕事の目標は、「夢と仕事の両立」でした。どうしてもこの二つを満たした仕事をやりたいと、思っていました。

「夢だけじゃ食っていけないよな〜。でも、夢のない仕事って寂しいよな〜。」

と職探しをしながら、つぶやいていました。口癖になっていました。

実は、前の会社を辞めたのは、もうひとつ理由がありました。辞める直前、半導体の営業をやっていたのですが、ある日、その半導体の取引先の会社の仕事内容がわかったことでした。

私の納品していた半導体部品の使用用途が、「軍事兵器の部品」だということを先輩から聞かされたのでした。

自分の労働が、軍事に利用されているということがわかり、とても不快感を覚えました。そして、どうしても仕事に気合が入らなくなってしまったのです。中東あたりで、自分の関わった部品が、人を殺すかもしれないと想像すると、もうダメでした。

先輩に、そのことで相談をすると、「トーマ君、もっと大人になろうよ!」と言われました。びっくりしてしまいました。「仕事だと割り切って、それをやるのが、本当の大人なのだ。」というような理屈で、説教をされてしまいました。

「自分は、そういうのが大人というのであれば、大人にならなくてもいいです。」

そういって、辞表をだしたのです。

どうも、現在の社会というものは、「仕事さえできればいい」というような風潮がかなりあるような気がします。確かに仕事の能力も必要でしょうが、もっと大切なことがあるのではないでしょうか?

ここロサンゼルスに来てからも、いろいろな出会いがありましたが、ある英語学校で、カレンという女性の先生に教えてもらった時、その先生が、

「私、実は以前は、兵器会社で働いていたの。秘書だったの。とっても給料も高かったの。でもね、やっぱり、人殺しに関わる仕事はできないと思ったの。神さまを裏切ることになるんですもの。今、給料は3分の1になってしまったけど、こうやって世界中の若者に英語を教えることが、なによりの生きがいなの…」

そう話してくれてことがありました。アメリカでも「利益」よりも「社会貢献」を大事だと考える人が、どんどん増えているようです。

「目的のためには、手段を選ばなくてもいい」というような考え方は、もう時代遅れだと思います。これからは、「目的も手段も、選ばなくてはいけない」という時代に突入したのだと思います。

そして、「全体の責任を、個人もとらなくてはいけない」という時代だと思います。

どういうことかというと、世界中で起こるどんな悪い事件も、私達も関わっているのだということを認識し、それに対して、何かの行動を起こすことが大切だと思います。

まあ、そんな大げさに考えなくても、小さいことから始めてはどうでしょうか? 具体的には、「自分が本当にいいと思う商品やサービスを、世の中に売る」ということでしょう。逆に言えば、「悪いと思う商品やサービスは、売らない」ということも大切だと思います。

「自分には関係ない」という考えは、どのような事に対しても、通用しないと思います。全ては、完全につながっていますから。

さて、私は、数々の会社をあたったのですが、とうとうボディビル関係の出版社に採用が決まりました。

しかし、1995年の2月に、突然採用を取りやめるという手紙が届いたのです。

理由は、最終選考に私ともう一人の若者が残り、私を採用したのだが、1月17日に起こった「阪神大震災」で、その若者の家が壊れ、その家族が大変なことになってしまったということでした。そして、その若者の母親から、「お願いだから、息子を採用してください」と頼まれたので、私の方を取りやめ、その兵庫県の若者の方をとることにした。ということでした。

「阪神大震災」で、運命が変わった人は、その当時たくさんいたと思いますが、私の人生にも大きな影響を与えました。

しばらく、落ち込んでいたのですが、気を取り直して、

「そうだ! 精神世界を仕事にしてみよう!」

と思いました。それまで、ずっと趣味でやろうと思っていたのですが、仕事として、チャレンジしてみるのもいいかもしれないと、思いました。

そして、大好きな「バシャール」の会社、「ヴォイス」に、電話してみました。

「私も、是非、精神世界の仕事仲間に加わりたいのですが…」

ちょうど、喜多見社長が、電話にでて、

「ちょうど2時間前に、出版部の人間が辞表をだしたばかりです。とりあえず、履歴書送って下さい。」

ベストタイミングでした。そして、1週間後、会社に面接に行きました。

「よし、採用しよう。3ヶ月は試用期間です。その後本採用します。」

と社長が言いました。それから細かい契約を交わしたあと、喜多見社長が、

「夢だけじゃ食っていけないよな〜。でも、夢のない仕事って寂しいよな〜。」

と私の顔を見て、言いました。

もう、必死になって、笑うのをこらえていました。(笑)

失業手当を完全に打ち切られて、貯金が底をついた、1995年の春でした…

 

 

 

 

 

 

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