「精神世界の鉄人」 エッセイ集

タイトル 発行月日
マスター 1 天才 7/19/2001

皆さん、お久しぶりです。

しばらく、一人旅に出かけてきました。場所は、カルフォル二ア州の「ヨセミテ」です。LAから、車で8時間ぐらいの所なのですが、とてもいいところです。もともとは、「アファニチ族」というネイティブ・アメリカンが住んでいたのですが、19世紀になり、「ゴールドラッシュ」のために訪れた白人が、発見し、だんだん世界中に知られるようになったようです。初めて白人の軍隊が「ヨセミテ」に来た時、皆、「天国の門の前に来た!」と言って、静かに銃を地面に置いたという伝説が残っている場所です。

 

ここで、すこし、「ニューエイジ」について、すこし触れておきます。

ご存知のように、「ニューエイジ」という動きは、だいたい1960年代後半から、主にアメリカで始まったと言われています。

特に、アメリカの西海岸は当時も、現在も盛んのようです。この動きは、学者によってもいろいろな見解があり、一概には言えないのですが、中には、この動きを18世紀の「オカルト・啓蒙主義」までさかのぼる学者もいて、神秘家「スウェーデンボルグ」から始まったとか、また、19世紀の神智学の「ブラバッキー夫人」が源流だとか、あるいは、もっとさかのぼり、グノーシス主義や、錬金術、古代宗教などにも起源があるという説もあります。「ルドルフ・シュタイナー」や、「クリシュナムルティ」、そして、「ネイティブ・アメリカン」などの下地もあっただろうと言われているようです。

また、「ニューエイジ」と「精神世界」は、だいたい同じ意味に解釈されていますが、「精神世界」という日本語は、もともとは、1978年の6月に、新宿の「紀伊国屋書店」で、「精神世界の本」というブックフェアが、開催され、この時から、この言葉を、日本の出版界が、使用するようになったことが、始まりだという説もあります。

日本の「精神世界」には、既存の「古神道」や「仏教」、「祖先崇拝」、「いたこ」、「ユタ」などの日本的霊性が含まれるようです。それに対して、「ニューエイジ」は、西洋的な「科学的合理主義」がいきづまった後に、アメリカの科学者たちが、「どうもこれまでの科学では、ダメなようだ」と気がつき、それを、東洋の禅や、仏教思想などに視点を移したことに始まっているようです。

そして、「ニューエイジ」が「日本の精神世界」と少し違うところは、「明るい」ということだと思います。特に西海岸の「ニューエイジャー」は明るい人たちが多いです。これは、気候のせいもあると思うのですが、私は、こちらの方が好きです。

日本の新宗教などが、たまにここに来て、布教活動をすることもあるのですが、ある人が、こう言っていました。

「アメリカ人は、暗い話が嫌いみたいです。特に、お布施をしたり、お祈りをしないと、先祖から祟りがあるというと、皆、怒ります。」

と言っていました。そのため、布教活動をする時は、教義を変えて、やっているそうです。暗い話は、アメリカ人にはうけないようです。(苦笑)

既存の伝統宗教との一番の違いは、「神」というものを、「自分」と同等にあつかっている点などが、特徴だと思います。「キリスト」や「釈尊」なども、だいたいそういうことは、言っていたのですが、長い年月の中で、「宗教団体」として、組織を維持していく目的のために、このことが軽視されてきたのではないかと思います。

私の個人的な、見方では、「精神世界」という分野は、「思想の逆輸入」だと思っています。つまり、もともと東洋にあった思想を、西洋人が、「科学」という手段を用いて、徹底的に検証したものを、また日本が、受け入れたものということです。

アメリカでは、その中でも特に、1962年の「エサレン研究所」の設立や、ベトナム戦争の泥沼化、LSDによる脳の研究、量子力学などの進歩などが、その動きに、拍車をかけたようです。

 

さて、ここで、私が「精神世界」に目覚めるずーと前、今から25年以上も前に、「精神世界」に目覚め、アメリカで、それを広める活動をしていた、一人の日本人を皆さんに、ご紹介しましょう。私の「マスター(師匠)」であり、世界一の人類学者、「宮城先生」です。

 

「自分が、ある段階に達した時、自分に必要な師は、自ずと目の前に現れる」

これは、インドや中国などの宗教界の格言だそうです。

宮城先生に会ったのは、1990年の春でした。まだ、私が東京に上京し、「バシャール」の本を知る、ちょうど1年前です。沖縄で大学4年生になったばかりの頃でした。

当時、私は、ほとんど大学にいかずに、毎日、アルバイトやウエイト・トレーニングに夢中になっていました。バイトは、土方仕事、喫茶店のウエイター、本屋のレジ、測量の助手、家庭教師(問題児専門)などでした。学問そのものを、それほど大切だとは思わず、「大卒の資格がとれればいいや」ぐらいに、思っていました。

科目の選択の時に、なんとなく、本当になんとなく、「人類学」という科目を取りました。それが、運命の分かれ目だったようです。

その時の、「非常勤講師」という立場で、赴任してきたばかりの講師が、宮城先生でした。太っていて、ニコニコした笑顔が、印象的でした。そして、最初の授業で、

「私は、あなた達が、本当に知りたかったことを、全て教えます。私に任せておいてください。」

と挨拶しました。それまで、大学の教授という人たちに、たくさん会い、ほとんど幻滅していた私は、「この先生、こんなハッタリかまして、大丈夫かな?」と思いました。(笑)

しかし、そのあと、授業をうけて、本当に凄い人物だということが、だんだん分かってきました。なんでも、私達と知り合う前は、人間の社会を離れ、数年間、「チンパンジー」の社会で、彼らと暮らしていたそうでした。棒で、ボスをボコボコニにして、「俺が、これから、ここのボスだー!」とか、やっていたそうです。(笑)

その時に初めて、「天才」という言葉の意味がわかりました。もう、並みの人間ではないのです。私は、「秀才」というものは、「努力」でなれると思いますが、宮城先生のような、「本当の天才」というものは、もう「努力」だけでは、絶対になれないと思いました。

私の文章で、どのくらい、先生の「天才ぶり」を伝えられるか、分かりませんが、まあ、やってみます。

先生は、数十カ国語を話せる語学の天才でもあったのですが、ものの見方、視点というものが、全然違っていました。とても高いところから、世の中を見ることができる人物でした。

「天才」という言葉は、「Genius」と英語で表現するらしいのですが、これの語源は、ラテン語で、「守護神」という意味だそうです。まさしく先生は、この世界の「守護神」のような人でした。また、「Faculty」という表現もあり、これもラテン語で、「実行する力」という意味だそうです。語源とは、面白いものですね?

先生はまさしく、「実行する力をもった、私達をサポートするために生まれてきたような、100年に一人の大天才」でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

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