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今日、私のメルマガの読者達と、LAの「パロスヴァーデス」という場所に、遊びに行って来ました。
そして、「ガラスの教会」という可愛らしい教会を見物してきました。
日本人の「吉田 栄作」が結婚式を挙げた場所ということで、有名な教会です。
凄い人気で、予約して挙式できるまでに、2年ほど待たなくてはいけないそうです。その間に、相手が変わったり、心変わりするカップルもいるそうです。(笑)
今回は、「結婚」という問題について、考えてみましょう。私自身は、独身で一度も経験がないので、あまり説得力のある話ができそうもないのですが、まあ、経験がないから、見える部分もあると思うので、ちょとつきあってください。
「いじめ」の問題は、家庭でもあります。親と子、兄弟どうし、嫁と姑など、いろいろな関係があります。その中でも、夫婦という関係は、やはり難しい関係のようです。
私は、子供の頃、「自分の両親は、仲良しだなー」などと、のんきに考えていましたが、やはり、私達兄弟に、なるべくそういう姿を見せなかっただけで、いろいろな問題が、あったそうです。
私が、LAに行くちょっと前(’97年)、母から、初めて聞かされた話がありました。
母の話によると、私が子供の頃、何か問題があり、若かったせいもあり、勢いにまかせて、幼い私と姉を車に乗せ、崖から車ごと海に飛び込む、自殺をしようと思ったことがあったそうです。そのぐらい思いつめた時期があったと言ってました。これは、驚きました。
詳しいことは、話してくれなかったのですが、なんでも、その時に、「聖母マリア」が現れ、母と私と姉を助けてくれたそうです。この「聖母マリア」は、世界中で出現しているようですが、私の母も、「会った」と言っていました。
昔も今も、夫婦の間では、争いごとが絶えないようです。夫が妻を暴力で従わせようとしたり、逆に、妻のヒステリーが怖くて、家に帰れない夫がいたり、いろいろなパターンがあるようです。両親が争う姿を見る子供達は、やはりつらいようです。「夫婦喧嘩は、犬も食わぬ」などと、笑ってすむ問題から、深刻な問題まで、程度にも差があるようです。
しかし、皆さんは、夫婦間の「いじめ」や「喧嘩」が、全くなかった事例が、人間の歴史上あったことを、ご存知でしょうか?
キリスト教の結婚式では、牧師さんが、厳粛に、
「神のあわせ給うところ、人、これを離すべからず」
と新郎新婦および、会衆に対して宣言します。
神前結婚式なのですが、この「人」という言葉は、元来は、「奴隷主人」のことだったそうです。そして、「新郎新婦」は、元来、「奴隷同士」だったというのが、昔の牧師さんの言葉だったそうです。
初期キリスト教は、イスラエルに始まるそうですが、その後、ローマ帝国の奴隷の間に多くの信者を獲得したようです。
当時の奴隷は、いろいろな待遇があり、全てが鎖に繋がれて重労働していたわけではなく、「下男」、「下女」、「家庭教師」、「芸人」などの自由にローマ市内を歩き回っていた奴隷もいたそうです。
そうすると、当然、恋愛をする恋人ができ、生涯を共に過ごしたいと思ったそうです。しかし、奴隷の身では、その保証がありません。奴隷主人から、「オマエ、今度、外国に売り飛ばすからな!」と言われれば、二人は別れて、まず死ぬまで再会することはありません。そういう境遇の中だったので、ほとんどの奴隷達は、恋愛をあきらめたそうです。
しかし、中にはあきらめきれないカップルがいて、その人たちは、「自分達も、人間らしく、結婚式を挙げたい」と強く願ったそうです。
でも、二人が「夫婦」であるということは、ローマ市内では、知人や家族が認めてくれるのですが、外国に売り飛ばされ、離れ離れになり、戸籍も証人もいなくなれば、誰も、「夫婦」だと認めてくれません。
そういう状態のカップルに、キリスト教の牧師さん達は、
「天上には、絶対的な神がいて、二人は、天国で再会できます。さらに、神があなた達の結婚に立ち会って証人になってくれますから、大丈夫ですよ。信者になれば、たとえ奴隷どうしでも、天国に戸籍簿があるから、立派に夫婦ですよ。」
と説いたそうです。上記の「人、これを離すべからず」というセリフは、「奴隷主人でも、二人の結婚を引き裂くことはできない」という意味だったそうです。
しかし、このセリフは、明日にもやってくるかもしれない「強制的な別離」の恐怖を、改めて思い出させるセリフでもあったようです。
現代の新郎新婦は、このセリフを、何も考えずに、聞き流しているようですが、当時の奴隷同士は、悲壮な気持ちで、結婚式で、聞いていたようです。
そして、その当時の奴隷同士の夫婦は、今と違い、「一分、一秒」という「二人一緒の時間」をとても大切にしたようです。「いじめ」、「喧嘩」など、考えもしなかったそうです。
現代の日本人は、「マイホーム」や「子供の高校」などの理由で、すぐに別居します。また、「単身赴任」、「暴力」、「いじめ」、「喧嘩」、「離婚」、「不倫」、「浮気」などの問題も多いです。
これらの問題の根本にあるのが、どうやら、「いつでも、誰とでも結婚できる自由」と「いつでも、すぐに離婚できる自由」らしいというのは、皮肉なことです。
私は、「昔のローマの夫婦」が、理想的な夫婦生活だと主張しているわけではありません。でも、こういう歴史上の実例を知ることによって、「何か見えてくるもの」というものが、あるのではないかと思います。
「自由と豊かさ、民主主義」が、「いじめ」などのネガティブな問題の要因になっていることも、もしかしたら、あるかもしれません。
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