「精神世界の鉄人」 エッセイ集

タイトル 発行月日
いじめ 8 運命 8/30/2001

人間のこの世界での、「幸せ」と「不幸」は、もしかしたら、植物の「木」と「根」のようなものかもしれません。

ご存知のように、植物は、小さな木は、根も小さいです。そして、大木は、地面に隠れて見えませんが、やはり、根も大きいです。

全てに当てはまるかどうか、分かりませんが、私自身の人生を振り返ってみた場合、そんな気がします。

私自身が、生まれてから、最初に「いじめ」を経験したのは、幼稚園の頃でした。その頃、クラスに、東京から沖縄に転校してきた子がいて、よくその子を、

「ヤマトンチュ(本土の人)、ヤマトンチュ!」

と言って、私が先頭に立って、いじめていました。特に深い意味はなかったような気がします。その後、その子の母親が、怒なり込んできて、いじめることができなくなった覚えがあります。

小学生の頃は、まあ、友達をいじめたり、また、いじめられたりと、普通の学校生活を送ったような気がします。この頃の「いじめ」は、後で「楽しかった思い出」になることが多いような気がします。

私は、個人的には、「いじめ」というものは、全ての人が、多かれ少なかれ、経験するものだと思っています。そして、一度、酷い体験をすれば、その後、だいぶ人生が、楽になる場合が、多いような気がします。ただ、その経験から、心に障害をうけ、一生苦しんだり、立ち直れなくなる人も、たまにいますが…。

 

小学校高学年の頃、ある担任の先生が、同じクラスの女の子に、今でいう「セクハラ」をしている場面を、たまたま目撃してしまいました。そのせいかどうか、わかりませんが、その先生から、私は目の敵にされ、さんざんな目にあいました。内申書なども、悪く書かれ、授業中も、よく私だけ、叱られました。それまでは、わりと成績もよかったのですが、その先生のおかげで、学校というものに、不信感をもち、勉強する気がなくなってしまいました。

そして、中学校に入学しました。その頃、よく病気をしていて、体力が弱っていたので、体育会系の部活動には、入れませんでした。また文化系の部にも、私の興味のある部がなく、しかたなく帰宅部をやっていました。

中学校という時代は、とても難しい時代だと思います。心身ともに、急に発育しますし、とても不安定な時期です。

勉強もそれほど好きではなくなっていて、スポーツも全くできませんでした。ただ、友達とお喋りするのは好きという、どこにでもいる、普通のおとなしい中学生でした。成績は、クラス(42人)中、30〜35番ぐらいでした。

何に対しても自信がなく、いつもオドオドしていました。また、極度の「先端恐怖症」で、当時、「貧血検査」といって、指を金属で傷つけ、血液を採取する検査があったのですが、それが、私にとっては、「地獄の責め苦」に見えました。

そして、その検査の当日、あまりの恐怖に、幼稚園生みたいに、

「やめてー、痛いよー、いやだよー!、助けてー!」

などと叫びながら、友人達の前で、泣いてしまったのです。

これが、皆からナメられる原因になってしまいました。5人ぐらいの友人から、目をつけられ、よく殴られたり、蹴られたりするようになりました。でも、いつもやせ我慢をして、ニコニコ笑ったりしていました。

その中で、特に私を目の敵にして、よくいじめていた友人に、Kという奴がいました。彼のいじめ方は、本当にしつこかったのです。

体育の時間などは、私は一番体力がなく、1500メートルのタイムを計る時も、途中でへばって、座り込んでしまい、皆から笑われていました。相撲を皆でとった時も、私が一番弱く、特にKが、面白がって、私を投げ飛ばしていました。私は、「体育の時間」が、一番嫌いでした。

「どうして、体力がないというだけで、先生も友人も、自分のことを、こんなにまで、バカにするんだろう? スポーツができるということが、そんなに凄いことなのだろうか?」

いつも、こういう疑問をもっていました。

そのうち、「いじめ」もエスカレートしていき、皆が私に、無理難題をふっかけてくるようになりました。

「オイ、今度は、あの家に行って、何か盗んでこい!」

こんなことも、命令されるようになっていました。また、当時、沖縄の中学生の間では、「熱帯魚」を買うのが、流行していたのですが、いつも、それを高いお金で買わされたりするようになりました。

「いじめ」というものは、徐々に、程度がエスカレートする場合が多いようです。

そのうち、熱帯魚屋から、万引きすることを強要されるようになったり、どんどん、激しくなってきました。

Kは、よく私の後ろの席に座り、コンパスで、私の背中を刺したりしてきました。そして必ず、何かいじめた後は、

「オマエのためを思って、やってあげているんだぞ、俺は、オマエの教育係だ!」

などと、自分の行為の正当性を主張しました。

ある日、彼の家に行くと、彼のお母さんが、彼を叱りとばした後で、

「みんな、オマエのためを思って、やってあげているんだからね!」

と言っていることに気が付きました。彼もまた、家族や部活動の先輩から、「いじめ」をうけていた人間だということに気が付きました。

私はといえば、家に帰ってくると、7歳年下の弟をよく、いじめました。弟は、当時、小学校1年生だったのですが、私はいつも、いじめた後、

「いいか、オマエのためを思って、教育してあげているんだぞ。これは、愛のムチというものなのだ!」

などと、屁理屈を言っていました。しかし、さすがに、祖母は、見抜き、

「あなたは、学校で、おなじようないじめを、うけているでしょう? おばあちゃんは、なんでも分かるのよ!」

と、するどい指摘をうけました。年寄りの知恵は、凄いと思いました。(笑)

何とか、中学校1年は、不愉快な思いをしながらも、無事過ごしたのですが、本当の「地獄」は、その後、中学2年生に上がってからでした。

今、振り返ってみると、全て、自分で選び、創りだした、「運命」、「試練」だったのではないかと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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