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結局、私の「いじめ地獄」は、軽いいじめも含めると、だいたい2年間でした。
今では、とても良い経験だったと思っています。「もう一度、やってみるか?」と聞かれたら、答えは、「ノー!」ですが。(笑)
中二の時、クラスの皆で、「クラスの1年間の思い出」という文集のようなものを、3学期の終わりに作成した時、ビックリしたことがあります。私が一番苦しく、「自殺」を考えていた中二の夏の頃のことを、皆が、その文集に、「この頃は、何も変わったことが、クラスになく、退屈だった」と書いてあったことです。
どうやら、一部の「いじめグループ」を除いて、皆、私の「いじめ」など、興味や関心がなく、「いじめに加わった。いじめを周りで、面白がって見ていた」という意識もなかったようです。中ニの頃のクラスメイトと、高校の頃、繁華街で会い、私が、その頃の、「いじめ体験」を話した時、
「へー、オマエ、そんなに追いつめられていたんだ? 知らなかったよ。確かに、よく殴られているのをみたけどな。それよりも、オマエの成績が、急に伸びたのに驚いたよ。あれは、奇跡だったなー。」
などと言っていました。ここに、「いじめ問題」の本当の怖さがあると思います。よく、いじめを苦にして、自殺した生徒がいて、マスコミが、周りの友人たちに、インタビューをするのですが、多くの友人が、
「まさか、自殺するとは思わなかった。そんなにひどい、いじめのような気はしなかった。理由が分からない」
などというコメントをします。まあ、中には、嘘をついたり、教師から発言を控えるように、指導される生徒もいるでしょうが、ほとんどは、本音だと思います。
例えば、「いじめっ子」の一人が、「いじめられっ子」に向かって、一日に一度だけ、「バカ!」と言っていたとします。そして、しばらくして、その「いじめられっ子」が自殺します。この「いじめっ子」は、「自分は、いじめなんかやっていない。そんなに酷いいじめなんか、無かった。どうしてあんなことぐらいで、自殺するのか、全くわからない。」こう言うでしょう。別に、その子は、嘘はついていません。
ただ、「いじめられっ子」の側からしたらどうでしょうか? 仮に、10人から毎日、いじめられていたとすると、一人が、一日に一回、「バカ!」と言っていたとしても、その本人は、10倍の、10回、「バカ!」と言われるのです。1年では、なんと、3650回、「バカ!」と言われるのです。これでは、どんな人間でも、自殺したくなります。「暴力」、「無視」など、他のいじめ方でも、全て同様です。
私が、「いじめ」を良い経験だったと思えるのは、こういう弱い人間の立場から、世の中を見ることができるようになったということです。確かに苦しい経験でしたが、とても、世の中がクリアに見えました。たまに、街中で、道端に座ると、通行人の動き、表情などがよく見えます。そんな感じです。
また、その後、会社に入社した時、上司や同僚から、無視されたり、仕事で、いやがらせなどを受けた時も、何も感じませんでした。
「暴力も振るわずに、いじめをするなんて、なんと、心の優しい人たちなんだろう! なんて、楽ないじめられ方だろう!」
こう思って、感動したことがあります。(笑)
さて、「いじめ」の話の続きです。
中二の頃、私を一番、いじめていたKとは、その後、同じ高校に進学したのですが、お互いに気まずく、ほとんど話をしませんでした。高校で、また同じクラスになったのですが、その時も、ほとんど喋りませんでした。
ところが、高校を卒業して、一年ほど経った、ある日、彼から電話がかかってきました。どうやら、どうしても、私と酒を飲みたいようでした。
沖縄の那覇市には、「国際通り」という繁華街があるのですが、そこにある、シャレたバーのカウンターに行くと、彼が一人で座っていました。
「オウ! イタル、よく来たなー、まあ、今夜は飲めよ! 俺のオゴリだよ。この店では常連で、気兼ねなく飲めるんだ。」
こう言って、ボトルキープしてあったウイスキーを出して、私のグラスに、注いできました。その当時、酒などほとんど飲まず、超まじめだった私に対し、彼は、相当な遊び人になっていました。
気まずいムードの中、二人きりで、チビチビと飲みました。彼は、何か、話したいことがあるらしく、自分も飲みながら、私にも、どんどん注いできました。
二人とも、そうとうに酒がまわってきた頃、Kが、
「イタル、中学の頃、オマエのこと、よくいじめてたよな…。」
こう呟きました。どうやら、「いじめ」の話がしたいようでした。私が、
「ああ、でも、もういいよその話は。昔のことじゃないか。水に流そうよ。」
こう答えました。もうその頃は、本当に、もうどうでもいいと思っていたのです。
「イヤ、よくないよ。俺は、オマエとちゃんと、話し合おうと思っていたんだ。でも、高校では同じクラスだったけど、話そびれてしまったな…。」
Kは、こう話はじめました。どうやら、後悔しているようでした。そして、
「イタル! ちょっと、店の奥のトイレに行かないか? そこで、俺を気が済むまで、殴ってくれよ。お願いだ。もう、ずーと苦しかったんだ。お願いだから殴ってくれ。オマエに殴られないと、俺の気持ちが収まらないんだ。頼むから、殴ってくれ! 本当に悪かったよ、あの頃は。ずーと、謝りたかったんだよー! ゴメンナー、ゴメンナー!」
こう言って、きました。複雑な気持ちでした。確かに、中学の頃、Kのことを、何度も殴ってやろうとか、時には、殺してやろうと思っていたのですが、こう言われると、困ってしまいました。でも、やはりどうしても殴れず、
「もう、本当にいいよ。オマエのおかげで、勉強もしたし、こうやって体も丈夫になった。俺の方も、悪かったよ。やっぱりいじめられる方も、悪いよ。」
こう言いました。それから、なんとなく気持ちが通じ、彼とはその後、親友になりました。いつも、二人で飲み歩きました。堅物だった私に、酒の飲み方やナンパの仕方(一度も成功しなかったが…)など、いろいろな遊び方を教えてくれました。
不思議な友情でした。その頃、私は、予備校で大学浪人をしていたのですが、彼は、仕事を始め、少しお金の余裕があったらしく、よくおごってくれました。
20歳の頃、このKと二人で、高校生の頃の担任の先生が、アメリカに留学に行くということで、送別会を兼ねて、クラス会を開催しました。
二人で協力して、幹事をやりました。居酒屋でクラス会をやり、大成功でした。
その後、二次会の後に、二人だけで、三次会をやり、
「やった! やった! 皆、喜んでいたなー! やったー!」
と言って、二人で乾杯しました。その夜の酒は、最高に美味しかったです。
その後、彼は、名古屋に働きに行き、22歳の頃、一度だけ、沖縄に帰ってきた時に会いました。その時、
「イタル、名古屋はいいぞー! ところで、オマエ、名古屋で一番勢力をもっている暴力団の組長が、沖縄の人だって知っているか? 今、その凄い人物と、俺、付き合っているんだ。オマエもいつか、紹介してやるよ。」
こう言って、自慢していました。彼は、そういう裏の社会の人たちとも、うまく付き合う才能がありました。
しかし、それから4年後、私が、東京で仕事をしていた26歳の頃、友人から、
「オイ! Kを知っているだろう? 彼、死んだよ。交通事故らしい。」
こういう電話をもらいました。ビックリしました。ただ、後から他の友人から聞いた話によると、「交通事故」というのは、表向きの話で、実際には、福岡の博多で、何かの事件に巻き込まれ、殺されたそうでした。
このKの死については、私の中で、未だに複雑な感情とともにあります。
那覇市のバーでの、Kの、「ゴメンナー、ゴメンナー!」という言葉が、今でも私の耳に残っています。
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