「精神世界の鉄人」 エッセイ集

タイトル 発行月日
悪魔 1 各駅停車 9/16/2001

皆さん、お久しぶりです。

大変なことになりましたね。亡くなった方々のご冥福を、心よりお祈りします。

9月11日(火)、午前8時(ロサンゼルス時間)、いつものように、大学に着くと、キャンパスの中庭に、大きなテレビが、設置され、大勢の学生が、ニュースを見ていました。最初、映画を見ているのかと思ったのですが、それが、本当の映像だとわかり、ビックリしました。

皆、不安と戸惑いを隠せませんでした。アメリカの大学には、世界中から学生が集まっているのですが、改めて、世界のどの人々も、まったく同じ気持ちをもっているのだなと思いました。

今回の事件は、たくさんのことを、私達に教えてくれているように思います。私自身、まだこのテロ事件について、考えがまとまっていないのですが、一人で考えていても、考えがますます迷路に入っていきそうなので、またメルマガを書いて、たくさんの人と、シェアしようと思います。

今回のシリーズは、「悪魔」について、考えてみようと思います。今回のテロ事件など、まさに、「悪魔のしわざ」のような行為です。この問題を、さまざまな角度から、考えてみようと思います。私も全部知っているわけではありませんが、自分自身が、今までに学んだり、体験したことを、書いてみようと思います。

私は、個人的に、「精神世界」の役割というものは、常識や学問など、既存の価値観では、どうしても解答がでずに、苦しんでいる時に、別の見方や考え方をすることによって、心が楽になるものなのではないかと、思っています。

さて、まずは、今回のテロ事件で亡くなった人々、そして同時に亡くなった犯人グループについて、考えてみようと思います。

ブッシュ大統領は、「犯人は、絶対にゆるさない。報復する!」と言っています。確かに、犯行は、絶対にゆるされるものではないし、私自身も、まだ憤りや憎しみをもっていますが、少し冷静になって、考えてみましょう。私達は、まだ、真実を知らないし、どんな犯罪についても、必ず「理由」があると思います。

この「理由」や「原因」を知ることなしに、いたずらに怒ったり、悲しんだり、感情的になるのは、あまりよくないと思います。

また、メディアの報道なども、やはり偏ったものしか、私達には、入ってこないようです。つまり、アメリカの側だけの報道です。イスラム側にも、たくさんの言い分があると思います。

これらの双方の情報を、十分に検討した上で、判断したほうがいいと思います。しかし、今回のような大規模なテロができるような犯人が、そう簡単に捕まるとも思えません。大きな黒幕がいるような気がします。「ケネディ大統領の暗殺事件」にしても、まだまだ、わからないことだらけです。私達が、このテロ事件の真相を知るのは、もしかしたら、あと、30〜50年先かも知れません。

私の今回のエッセイでは、犯人の追及や犯罪の社会的な分析などは、やらないことにします。素人の私より、そういうことに詳しいジャーナリストは、たくさんいるからです。あくまでも、精神世界的に、考えることにします。

巻き添えをくらって亡くなった人々は、本当に突然の死だったと思います。また、あまり報道されませんが、飛行機でビルに突っ込んだ犯人たちも、自分達が死んでまでも、成し遂げたかった「何か」が、あったのだと思います。それが何かは、わかりませんが、彼らにとっては、「命よりも大事なこと」だったのでしょう。

「死」について、ユニークな考えを、本で読みました。

1972年に、「アポトーシス」という現象が発見されたそうです。これは、細胞が自殺するという現象だそうです。ある種のたんぱく質が、生命体の全身のために、特定の細胞に、「死んでください」という指令をだすことが、科学的に確認されたのだそうです。

その指令を受けた細胞は、みずからの命を絶つそうです。例えば、体が傷ついた時、その傷口には、潰れた細胞があるのですが、二通りの潰れ方があるそうです。

一つは、血管が萎縮して、血液が回らずに輪郭が崩れて死んでいく細胞。もう一つは、輪郭を維持しながら、秩序正しく死んでいく細胞。

この後者の「秩序正しく死んでいく細胞」が、遺伝子の指令で死ぬ細胞なのだそうです。これは、「全身のために、これらの細胞は、死んだほうがいい」と遺伝子が、判断して、指令をだし、これを受けて、細胞が死ぬのだそうです。

例をあげると、おたまじゃくしの尻尾の細胞が死ぬ時は、この指令がでているそうです。この「尻尾の細胞」が死ぬことによって、「おたまじゃくし」という全身が、「カエル」という全身に変身するのだそうです。

よく、「生き甲斐」について、私達は考えますが、逆の「死に甲斐」について、考えてみることによって、より世の中が、明確に見えてくることもあるかもしれません。

幸い、今回のテロ事件の被害者の中には、私の知人はいませんでした。もしかしたら、だから、こういう冷静な考え方ができるかもしれません。もし、親兄弟が死んでいたら、このような意見は言えないのかもしれません。

でも、一度、被害者と犯人グループの死も、そして全ての「死」も、全て、「人類全体の発展、進歩」のためなのではないかと、考えてみるのもいいのではないでしょうか? 枯葉が落ちて、それが、その木の養分になるように。

私が尊敬する、宗教評論家の「ひろさちや」氏が、本の中で、「死」について、興味深い表現をしています。要約すると、私達の世界は、「人生老死号」という名前がついた列車に乗って、皆で旅をしているようなものなのだそうです。

老いと死に向かって、まっしぐらに進んでいく列車で、各駅停車で、駅に着くたびに、新しい乗客を乗せて走っていく列車なのだそうです。

この「新しい乗客」が、新しく生まれてくる「赤ちゃん」だそうです。

この列車に終着駅はなく、どこまでも走り続けるそうです。誰がどこで降りるかというと、じっと耳をすましていると、神様の声が聞こえてきて、それぞれが、

「私は、皆さんと一緒に、楽しい旅をさせていただきました。私は、次の駅で降ります。では!」

と皆にお礼を言って、各駅で降りていくのだそうです。

降りる人がいるから、誰かが、降りる人の席に座れる。立ったままの人もいるが、立っている人も、一人でも降りれば、それだけストレスが、小さくなるという話です。乗る人だけだったら、確かに大変です。満員電車になってしまいます。ここでの「各駅停車」が、「生死」なのだそうです。

今回の事件で、たくさんの人々が亡くなりましたが、これらのたくさんの「死」も、きっと、私達人類全体の発展につながると信じています。

これから、「戦争」の気配も感じますが、その先にも、必ず、「光」があると、私は、信じています。

「夜明けの前が、一番暗い」という言葉もあります。(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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