「精神世界の鉄人」 エッセイ集

タイトル 発行月日
悪魔 4 新戦争論 9/24/2001

「戦争」について、私なりに、もう少し考えてみます。

「経済人類学」という学問の中に、「過剰蕩尽(かじょうとうじん)理論」という考え方があるそうです。

これは、人間という生命体は、人生のほとんどを経済学的に無駄なことに費やし、そして、その過剰に蓄積されたエネルギーをある時、蕩尽、すなわち使い果たすことによって、快感を感じる生き物であるという仮説です。

例えば、人間社会のほとんどのコミュニティに、「お祭り」があります。どんな未開の部族といわれる人間たちも、ほとんどが、定期的に「お祭り」をやります。

これは、普段、無駄に溜め込んだエネルギーを、一瞬にして吐き出すことによって、快感を感じるためではないかと考えられています。

「衝動買いのショッピング」、「生殖目的以外のセックス」、「喫茶店での無駄話」、「スポーツ」、「映画鑑賞」などなど、これらも、上記の「蕩尽行為」なのだそうです。確かに、経済学的には、あまり生産性はなさそうですね。

そして、この理論によれば、「戦争」という行為も、「お祭り」の延長線上にある、「蕩尽行為」なのではないかというのです。

人間は、家屋や建物などが、「破壊」されると、心の隅っこで、快感を感じているのではないかというのです。ちょうど、子供が、砂場で砂遊びで、大きな砂の城を作り上げた後、それを壊す時に、楽しそうに壊すように、本能に組み込まれているのではないかというのです。

私は、先のテロ事件をテレビで見た時、最初、映画の場面だと勘違いしました。その時感じたのは、正直言って、「スカッとした感じ」でした。それから、しばらくして、近くにいた友人に、本当の事件で、たくさんの人々が死んだと聞かされてから、「とても悲しく、暗い気持ち」になりました。要するに、もし、人が死んでいなければ、あのビルが崩れる瞬間、快感を感じたかもしれないということです。さすがに、たくさんの犠牲者がいたことを知ったので、不快感しか感じませんでしたが。

人間の心の中には、こういう「悪魔的な気持ち」が、やはりあるようです。無い人もいるかもしれませんが、ほとんどの人にあるのではないでしょうか?

この「戦争」を「お祭り」の延長戦上のものだと考える仮説は、とても興味深いです。最近、ここロサンゼルスの街をドライブしていると、車に、アメリカの国旗をつけて走っている人が、たくさんいますが、バスケットボールや、アメフトの試合の前に、ファンが、ひいきのチームの旗をつけて走るのと、全く同じに見えます。

日本にいた頃は、分からなかった感覚ですが、アメリカ人は、戦争を、「お祭り」だといういうふうに感じている人が、もしかしたら多いかもしれません。

この「過剰蕩尽理論」というので、人間の行為のほとんどが、説明できるそうです。例えば、「死」という行為も、過剰の塊である人間の人生を蕩尽する、最大の行為だから、死の瞬間は、最高の快感が伴うのではないかという学者もいます。

聖職者が、禁欲的な生活ができるのも、この「死」という最高の快感を予感しているからできるのではないかとの意見もあるようです。

日常生活の身近な例で考えれば、「小さな蕩尽行為」にあたるのが、「飲酒」や「喫煙」、「ギャンブル」などではないでしょうか? 

これらを止めるのは、至難の業です。中毒だからです。これらの中毒になっている人に、

「体に悪いから、止めなさい! お金の無駄使いです!」

などと言っても、まず止めることはありません。皆さん、ご存知のとおりです。

これらは、「道徳」などでストップできるものではないからです。

私の経験から言わせてもらうと、「飲酒」や「喫煙」は、あまりやらなかったので、わかりませんが、「ギャンブル」には、一度、中毒になったことがありました。

しばしば、、ラスベガスに行って、ギャンブルをしていました。大した金額を賭けたわけではないのですが、さすがに、どんどん負けが増えてきて、どうしようもなくなりました。でも、どうしても止められなくなりました。

友人から、「バカなことは、もう止めろ!」と何度、忠告されてもダメでした。とことん負けて酷いめにあえば止められるかと思ったのですが、これも負ければ負けるほど、「今度こそ!」と思って、どんどん深みにはまっていきました。

ある日、自分自身の心に、「どうして自分は、ギャンブルを止めることができないんだろう? なにが根本的な問題なのだろう?」

こう深く問いかけてみました。その時に気がついたことは、

「現在の自分には、ギャンブル以上に、楽しいこと、ワクワクすることがないから、ギャンブルで、ワクワクしているのだ。」

ということでした。答えが分かれば、対応ができます。その当時は、1997年で、体にケガが多く、大好きな「パワーリフティング」ができなくなっていたのです。

そこで、「カイロプラクティック」などで、体を矯正して、食事にも気をつけ始めたら、記録が伸び始め、また「パワーリフティング」の試合に出場することができるようになりました。もう、ラスベガスでのギャンブルなど、眼中になくなりました。ギャンブルなんかより、はるかにワクワクすることを始めたからでした。

2000年の秋に、ラスベガスで「世界パワーリフティング大会」が開催され、そこで優勝したのですが、優勝のトロフィーを持って、ギャンブル場を歩いたのですが、もう全く、違う目で、ギャンブラーたちを見ていました。

「皆、まだ、ギャンブルなんかやっているんだー。こんなもので勝っても負けても、ただの運じゃないか! もっと努力が介入するギャンブル、自分がやっているようなスポーツをやったほうが、もっとワクワクするのに、かわいそうな人たちだ!」

こう思いました。私の優勝トロフィーは、現金に換算すると安物ですが、「お金では、買えないもの」です。私にとっては、100万ドルより値打ちがあるものです。

この時、学んだことは、「中毒から、抜け出すのは、もっとワクワクする、もっと中毒になれるものを探すことだ!」ということでした。

「戦争」という「中毒」にも、これが当てはまるのではないでしょうか?

人間が、ずーと戦争を続けているのは、もしかしたら、「戦争より、楽しくてワクワクするものがないから」かもしれません。

「戦争反対!」と叫ぶのも有効だと思いますが、それよりも、「戦争よりも、もっと楽しくて、ワクワクして、お金が儲かることがありますよ!」という提案をすることが、大切かもしれません。今のところ、「戦争より、お金が儲かるお祭り」にあたるものは、私には具体的に考えつきませんが、もしそれが見つかった時が、世界から、「戦争」がなくなる時かもしれません。

砂場で遊んでいる子供が、まさに今、せっかく作った大きな砂のお城を壊そうとしています。この「子供」に当たるのが、「戦争」という「悪魔」です。

この「悪魔」に、「もっとワクワクすること」を提供できるのが、「精神世界」なのではないでしょうか?

以上が、私の考える、「新戦争論」です。(笑)

 

 

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